執筆順・( )内は推定執筆時期
奈良朝の末、村から離れた林の中に、老婆と若い娘が住む家があった。その村の後ろには、那須火山系列の一つの活火山が聳えていた。老婆のことを村人たちは魔女だと信じ、怖れていた。若い娘は珠名という名であった。
村の若者、足部の益人は、ある日、急な雨に遭い、珠名の家で雨宿りをすることになった。出てきた珠名の美しさに驚き、益人は恋に落ちる。夕食をもらい、一泊した益人はその家を出るが、珠名を忘れることができない。珠名も益人のことを思う気持ちが募り、川辺で花を摘み、歌を口ずさんでいたところ、益人が通りかかる。益人は自分の思いを珠名に打ち明けるが、珠名は自分を魔性のものと信じ込んでいるため、益人の思いを受け入れることができず、逃げ帰ってしまう。
益人は自分達の恋を村人たちに受け入れてもらいたくて、一計を案じる。
老婆から聞いた、山腹の廃寺の言い伝えを利用することにしたのである。老婆は毎日、山を登り、廃寺の卒塔婆を確認している。昔その寺を建立した僧を村人たちが虐待して死なせてしまった。すると呪いがかかり、卒塔婆が血塗られることがあると、山は荒れ狂い、麓の村を呑み尽くすという言い伝えがあったのである。益人と友人たちはある日、旅の僧侶を殺し、卒塔婆にその血を塗る。
益人は伝説などまやかしだと思ってそのようなことをしたのだが、伝説のとおりに火山の噴火が始まる。
老婆は事態を知り、家に戻って魔女の本性をあらわし、珠名に一緒に逃げようと誘う。しかし珠名は益人を捨てて逃げることができず、魔女の誘いを断る。魔女は珠名に、「お前は本当は都に生まれたのだが、私が乳母に化けてさらってきたのだ。人間らしく恋に死ぬのだな。お前の父親の名は阿曇の連・・・」と告げて去っていく。
珠名のもとに転がり込んできた益人は火山灰で目が見えなくなり、情けない姿になっていた。噴火はいよいよ激しくなり、益人は珠名に一緒に逃げようと誘うが、珠名はもう無駄だと拒否する。屋根を突き破った焼石の衝撃で、益人は死んでしまう。
一人残った珠名は、「死ぬんだろうか」と自問したが、なぜか死ぬような気がしなかった。「どんなに焼石を浴びたって生きていそうな気がする」と心に思い、珠名は目を開いて土間に座っていた。しかし一瞬の後には、熔岩流が珠名の家を呑み込んでしまった。
〈鑑賞〉
文彦の唯一のファンタジー小説です。魔女や呪いが出てきます。また、文彦の小説の中で最もおもしろいものでもあります。
音の表現が豊かで、楽しむことができます。
最後に自分の死と向き合う珠名には、文彦自身の身の上や心情が投影されていると思われます。
珠名の父「阿曇の連」は、九州志賀の島の志賀海神社の宮司と、長野県松本の上高地にある穂高神社の宮司です。海と山とをつなぐ古代の一族の名です。
壮大なロマンが背後に組み込まれた作品だと言えるでしょう。