

東文彦と三島由紀夫のこと
白い花
文彦というと、どうも白い花が連想されるようです。
文彦に小説の指導をしてくれていた恩師、室生犀星は、文彦が亡くなった約1年後に追悼文を書いています。
その最後には、文彦に捧げられた追悼の俳句、つまり「悼句」が付されています。
「白菊や誰がくちびるになぞらへし」というものです。
文彦は小説で魅力的な少女を書くのが得意でしたが、その少女達は、誰がモデルなんだろうか、というような意味だと思われます。
白菊のふっくらした感じと、少女達の唇の感じが似ています。
また、白菊の清らかなイメージは、文彦という人物の清らかな感じに通じています。
そして、やはり亡くなってしまった文彦に捧げられた白菊が連想されます。
さすが犀星だな、と思われる俳句ですね。
犀星は生きている文彦に会ったことはなく、亡くなった顔を初めて見て、美しい青年だと思ったと、追悼文に書かれてあります。
友人、三島由紀夫もまた、文彦を白い花になぞらえています。
文彦が亡くなった当時18歳だった三島は、文彦の葬儀で、友人代表として弔辞を読みます。
その読み上げられた言葉の中で、文彦を白梅にたとえます。
文彦の清らかさについて、「雪の内なる白梅のおもかげもありけるものを」と述べているのです。
親しい人達の多くが、文彦を白い花に結びつけていることからは、文彦の個性が感じられます。
東文彦の本名
東文彦の本名は、とても珍しい漢字です。
東徤(あずま・たかし)です。
「徤」は、〈ぎょうにんべん〉に「建築」の「建」です。
この文字は、中国の古代思想、『易経』の注釈書の中に出てくる文字で、世界中でその一箇所だけで、おそらく使われている文字です。
易経は、占いの易の元になる思想です。
易経では、天が充実して活動している状態を理想としていて、それを「徤(けん)」と呼びます。
人間や、その他の生き物、または事物や自然現象が充実している状態のことは、「乾坤」の「乾(けん)」という字を用いて呼びます。
文彦のおじいさんである東武(あずま・たけし)さんが、かわいい孫に易経の理想を表す文字を、名前につけてくれたのです。
中国思想や中国文学について、詳しい知識を持ったおじいさんでした。
この名前によって、文彦は小さい頃には苦労もあったようです。
文彦の小説には、易経の世界観を表現したものがあります。
自分の名前から着想した可能性があると思われます。
文彦と三島とは、互いに名前のことを手紙で書き送ったことはわかっていますが、詳しく書いた手紙そのものは、今のところ、見つかっていません。

